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地質や地形から歴史を紐解く 地学研究者などが高田城址公園を視察

地質や地形から歴史を紐解く 地学研究者などが高田城址公園を視察

全国から地学の研究者などが集まる研究会の総会が上越市高田で開かれたのに合わせて、高田城址公園で、城の歴史を学ぶ視察研修が1日(月)行われました。

視察研修は、全国の地学の研究者や愛好家などで作る「地学団体研究会」の総会が上越市高田で開かれたのに合わせて、会のメンバーに開催地である高田の歴史や隠れた魅力を知ってもらおうと開かれました。参加したのは、地学の研究者や教員など市内を含め、千葉県、山形県などから集まった15人です。

講師を務めたのは「地学団体研究会」新潟支部高田班 班長の山田雅晴さんです。

一行は、高田本町商店街や榊神社などを訪れたあと高田城址公園に向かいました。

山田さんは、高田城はほとんど石垣を持たず土塁と堀を巡らせた「土の城」であると説明しました。その理由について、高田城を築城する前の1500年代後半から戦で使われる武器が刀や弓矢などから、鉄砲や大砲に変わり始めたことが関係していると話しました。

地学団体研究会 新潟支部高田班  山田雅晴 班長
「土塁は鉄砲や大砲の弾が落ちたときに吸収する弾力性がある。石積みで きれいに造っても砲弾で崩れたり、目立つ本丸が崩れると戦意喪失。大坂の陣で証明」

「下が広い土塁を作っているはず。角度の高いものは大砲の弾が当たり崩れやすい。角度が緩いと、大砲の弾が当たっても崩れない。大砲や鉄砲の弾への防衛力は非常に強かった」

また、明治維新以降、まちの復興のため高田城の跡地に陸軍を誘致した際、軍の施設を建てる場所が足りなかったことから、内堀と外堀の間にあった土塁を崩し、堀を埋めたことが説明されました。

一方で、城址公園の内堀のまわりには土塁が残っていて城の名残を垣間見ることができます。

地元から
「ノスタルジアを感じる。できるのであれば、高田城の外堀の土塁の一部を復元。これだけの高さと幅があったと、やってほしい」

千葉から
「土でできた城のすごさを感じた。石垣の城しか知らなかった。こういう土の城がちゃんと意味があって築城。いろいろな人に伝えていきたい」

 

地学団体研究会 新潟支部高田班  山田雅晴 班長
「高田城はそれほど日本中に知られた城ではない。先入観として持っている城とだいぶ違うが、意味があり歴史的にも貴重。当時の時代にあった城などと、いろいろなところで紹介してほしい」

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